『自由遊戯黙示録』あとがきのようなもの Tacashi Mano 2009.12.31 『自由遊戯黙示録』 http://frgrgnd.blog99.fc2.com/ ---- ○「フリーゲーム愛好家暦、15年」 もともとフリーゲームを愛好しているタチではあったのですが、 『自遊録』を執筆しはじめた直接のきっかけとしては、 ある日『愛と勇気とかしわもち』に触れて、「これはすごいんじゃないか」と思って、 フリーゲームを語りたいという熱が高まったのがきっかけです。 執筆にあたり、私が7歳で「Bio_100%」に触れたときから始まった、 自分とフリーゲームとのかかわりあいを見直してみよう、と考えました。 馴れ初めからちょうど15年が経っていたということで、ひと区切りを付けようと思ったのです。 ゲームそのものと真摯に向き合い続ける、気高きインディーズ・ゲーム・クリエイター達が生み出した 誇り高きフリーゲーム群を、僕は幼少のころから見てきています。 そして僕がフリーゲームについて語れること、語るべきことはそれなのだと。 また「フリーゲームの歴史」や「ビデオゲームの歴史」についても ある程度追えるような物を書こう、とも考えました。 これは、やはり幼少のころに読んでいた、 『Windowsの宝箱 スーパーゲームコレクション〈2〉動かしてみるゲーム進化論』(牧野 武文)という書籍に とても影響を受けています。 この書籍について少し紹介すると、 ウィリアム・ヒギンボーザムから『テトリス』前後までのゲームの歴史についてのコラムと、 その中で登場した歴史的なゲームのフリーウェア・クローンを納めたディスクで構成されていました。 不定期コラム『自由遊戯・起源零年』はまさにこの書籍の内容をなぞった記事だといえます。 ---- ○「フリーゲームを説明するのは難しい」 これは、私がとあるフリーゲームを通して知り合った友人が、自身のweb日記に書いた一言です。 『自遊録』の執筆を決断したもうひとつの理由は、 この「フリーゲームを説明するのは難しい」という一言でした。 「フリーゲームを説明するのは難しい」、この事に異存はありません。 「フリーゲーム」は「商業(コンシューマ)用ゲーム」とはもちろんのこと、 イベントなどで有料配布される自主制作系ゲーム、 いわゆる「同人ゲーム」とも微妙に異なるベクトルを持っています。 またフリーゲームの大きな特徴として”無料”であることが挙げられますが、 近年では、商業ゲームメーカーが旧作を無料配布するようになり、 Webブラウザ上で動作する「カジュアル・ゲーム」、 アジア製の無料MMORPGに代表される「企業が広告費等で運営する無料オンライン・ゲーム」なども台頭しています。 このような”無料で遊べるゲーム”との混同によって、 「フリーゲーム」という言葉の持っているニュアンスにブレが生じているように感じます。 そこで私は、いちプレイヤーの視点から「フリーゲームとは何なのか」を説明してやろうじゃないか、 という指針を『自遊録』の中に盛り込むことにしたのです。 奇しくも『自遊録』の執筆中に、著名なフリーゲーム作家である 「アンディー・メンテ」のジスカルド(泉和良)氏による半自伝小説『エレGY』が発表され、 氏はその中で”フリーウェアゲームスピリット”というフレーズを用いて フリーゲームに宿る精神性について述べています。 ”フリーゲームの精神性” それこそが、今後フリーゲームを語っていくうえで重要になる事でしょう。 ---- ○「満足行くレビューなんて、どこにもないわけで」 執筆に当たっては、Web上のレビューを参考にしようと いくらかのフリーゲーム・レビューサイトを回ってみたのですが、 せいぜい4・5行のフリーゲーム”紹介”が主で、深く入り込んだ文章はほとんど無い。 またフリーゲーム・レビューサイトの中には「無料だから〜〜〜」という記述が多く見られました。 たしかに「無料」というのはフリーゲームの大きな特徴ではあります。 しかし「無料」であることが、果たしてそのゲームの面白さに結びついているのか? 「そうじゃないだろ」、と。 誰も彼も、ゲームそのものについて何も語っちゃいないじゃないか、と。 『自遊録』は、上記のような”無料ゲーム紹介サイト”に対する反発の表明でもあります。 私にはどうしても、彼らがゲームを研究する視点、ゲームに対する真摯さといったものを 著しく欠いているように思えてならなかったのです。 結局のところ、自分が読みたいと思えるフリーゲーム・レビューなんてどこにもなくて、 それは自分で書くしかなかったのです。 湧き上がる吐き気を堪えながら。 私にとって『自遊録』の執筆とは、 抜き身の真剣の刀身を、彼らに突きつける行為でもありました。 ---- ○「面白いゲームに負けない、面白い読み物を」 ゲームレビューというのは、レビュー対象とした1本のゲームについて そのゲームのどんなところが面白いのかを捉え、文章として表現していく行為だと考えています。 とは言うものの、このゲームレビューというのは実は大層不毛な行為でありまして、 ゲームレビューなんてものをダラダラと書いたりするよりも、 実際にゲームを遊んでみた方がはるかに理解が早いし、俄然面白いに決まってるわけです。 つまり、面白いゲームに負けないくらい、読んでいて面白い物を書かなければならない。 レビューを読んだ人が、笑ったり、泣いたり、驚いたり、怒ったり、共感してくれたりくれる、 そういったものを目指さなくてはならない。 だから、『自遊録』の記事を読む人には、そのテキストこそを楽しんで欲しくて、 たとえ記事の中で取り上げられているゲームをプレイしてくれなくても、それは全く構わない、 とすら思っています。 各記事で関連リンクを追記部分に隠しているのも、 ゲームレビューの読者は既にレビュー対象となっているゲームをプレイしている人が多いだろうし、 そのゲームを未プレイの人なら「自分から興味を持ち、積極的にゲームに接しに行ってくれる人」が ゲームをプレイしてくれればそれでいい、という考えからです。 他人の褌で相撲を取るな、と言われれば、そこまでの話ではあるのですが… ---- ○「黙示録が終わり、創世記が始まる」 さて、私が『自遊録』を書き始めた当初に比べると、 自主制作ゲーム界隈には自省的な雰囲気が見られるようになったように思います。 海外でのIndependent Games Festivalをはじめとするインディーズ・ゲームのムーブメント、 相次ぐフリーゲームの商用作品化、 4Gamer.net「インディーズゲームの小部屋」や同人ゲームムック「GAMOOK」といったテキストの登場、 IGDA日本 SIG-Indie等の開発者団体の設立。 こうした出来事が集中的に発生しています。 今は大きな流れの変化の途上にあって、 これからは界隈の人々自らが考え、先へ進んでいくのだと思います。 『自遊録』は持っていた役割を終えますが、 私自身はまた何か別の形で、フリーゲームに関わる活動をするかもしれません。 ひとりのゲーム・プレイヤーとして、愛好家として、 これからもフリーゲームを見届けていくつもりです。 ---- ○「ずばり、フリーゲームの面白さとは?」 一言で言えば、作品に込められた「我」にあると思います。 ---- ---- ○「謝辞」 まずはフリーゲーム『Notrium』をきっかけに知り合うことになった、 親愛なるフリーゲーム・フレンド、willtheblueさん。 彼の一声が私を『自遊録』の執筆へと押し進めてくれました。 http://www.ac.auone-net.jp/~sa_tu_ki/will/ かつてフリーSTGレビューサイト『shooting maniacs.』を運営していたkaiさん。 現在は同人音楽情報blog『kaiの判別式』を執筆されています。 「語り口に熱がこもっている」と言っていただけた事が、何よりも嬉しかったです。 熱意の大切さを改めて思います。 http://ka1.seesaa.net/ 「フリーゲーム論」を展開する『Libretas』のShikiさん。 フリーゲーム界隈を俯瞰した論評は、『自遊録』がフリーゲームについて書ききれていない部分をフォローしており、 またそのお陰で、私自身は安心して”個々の作品”に注力した文章を執筆できていると言えます。 『自遊録』の副読blogとしてお勧めです。 http://libertatem.org/ 記事を執筆していく上で刺激になった、レビューサイトの先立の方々。 『暗黒式1024』(代氏)、『Hang Reviewers High』(ソメル氏)、 『あたっく系』(K-HEX氏)などのサイトには特に影響を受けています。 そしてもちろん、ゲーム作家の皆さん。 特に『グラフでボクシング』のサンドバッグ氏、『がんばれ!菜月さん』のD.K氏の御両名からは レビュー記事に直接コメントを頂くことができました。 また、『インディーズ・ゲーム開発者の国際交流』のoranda氏からもメッセージを頂きました。 私は果たして”本分を尽くす”ことができたでしょうか? ---- では、いずれまたどこかで。 長らくのご愛読ありがとうございました。 End of Document.