フリーゲームを取り巻くものにまつわる、いくつかの事象と言説 -------- 目録 序.語られない「フリーゲーム」 1.「無料ゲーム」という扱われ方  1.1.「元を取る」という考え方  1.2.「企業による無料ゲーム」と「自主制作性」  1.3.無料の理由を考える  1.4.フリーウェア・ゲーム・スピリット 2.プレイヤーからの視点  2.1.フリーゲーム・コミュニティの分断  2.2.2ch「フリーソフトで面白いゲーム まとめ」  2.3.「超激辛ゲームレビュー」と「3分ゲームコンテスト」 3.ゲーム開発者からの視点  3.1.”場”の欠如  3.2.ネットワークを介したゲーム開発 Roguelikeゲームの文化  3.3.「2ちゃんねる」の有志によるゲーム開発  3.4.「ゲームヘル2000」  3.5.「家庭用ゲーム機向けフリーゲーム」の課題と可能性 4.インターネット以前の時代  4.1.マイコン文化  4.2.パソコン通信  4.3.同人ゲーム 5.海外からの視点  5.1.『洞窟物語』という名の転機  5.2.「Independent Gaming」から「IndieGames.com : the weblog」へ  5.3.Independent Game Development  5.4.ゲーム改造文化「MOD」 終.来たるべき言説の時のために 付属.自主制作ゲーム概略年表 -------- ■■序.語られない「フリーゲーム」 筆者は「自由遊戯黙示録」(http://frgrgnd.blog99.fc2.com/)という、 フリーゲームに関連するweblogを執筆している。 執筆にあたり、記事のための資料をインターネットで探すうち、 フリーゲーム・レビューサイトの冷え込みが著しいことに愕然とした。 >一時は「無料で遊べるゲーム」というものが静かなブームになり、 >フリーゲームを紹介・レビューする総合サイトの類が多く開設された時期もあった。 >現在ではその流れは一段落し、その頃に生まれたサイトの多くは閉鎖されており存在しない。 >その一方で、フリーゲームの紹介サイトと見せかけてアフィリエイト広告ばかりを貼り付けた >内容のないサイトが乱立しつつあるのもまた現状である。 > > フリーゲーム - Wikipedia > http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 なぜフリーゲームは語られなくなったのか? このような現状から、今これからフリーゲームを語る為に、何を知り、何をわきまえるべきなのか? 本稿は、語られない「フリーゲーム」を語るための礎として、 インターネットを中心に、フリーゲームにまつわる様々な事象や言説を収集、紹介するものである。 -------- ■■1.「無料ゲーム」という扱われ方 ●1.1.「元を取る」という考え方 フリーゲームは多くの場合、いわゆる「暇つぶし」としてプレイされ、 ゲームの内容に対する掘り下げが行われるような事はとても少ない。 >ゲームが飽きるまでの活動を分解すると、最初に心を動かすために必要なものは、 >『(シリーズであったり、革新性であったりすることからの)この作品を買えば、満足できそう』という魅力である。 >そして当然のごとく、ユーザはその払った金銭と等価もしくはそれ以上の満足感を求める。 > >(中略) > >このときに勿論つまらないこともある。多くのユーザはクレームを入れるだろうか。 >音質が悪い、絵が下手だ…と言ったところで改善は望めない。作者も時間は無いし、 >ユーザ自身も無料のそれにそこまで憤慨する価値も無い。 >ただつまらなかったと心の片隅で感じ、PCから消すだけだ。 > >何故そうなのか。単純に『金銭』は問題から抜け、『時間』だけの損失となるからである。 >それも金銭を伴わないために、途中でやめるという時間を棒に振る選択も比較的容易に行うことも出来る。 >片方が意識から抜けることにより、問題は絡まることなく、単純に解決が出来るようになる。 > > フリーゲーム論─買うとタダの違いとは─ Libertas > http://libertatem.org/2008/01/freegame1.html フリーゲームに対して深い考察がなされない理由のひとつとして、 「無料だからこの程度だろう」という”満足度の設定の低さ”からくる心理が 働いているのではないだろうか。 ●1.2.「企業による無料ゲーム」と「自主制作性」 「無料ゲーム」という範疇で考えた時に、 「無料ゲーム」に当てはまるのは何も自主制作系のゲームだけではない。 例えば、『ハンゲーム』に代表されるようなオンライン・ゲームのポータル・サービスや、 プレイを無料にして、ゲーム中アイテムを有料で購入可能にした「アイテム課金型」MMORPG、 FLASHなどでWebゲームを公開し、広告収入などを元に運営する場合。 その他にも、アダルトゲームメーカー・アリスソフトの行っている「アリスソフトアーカイブス」や、 Rockstar Games『Grand Theft Auto』の旧作など、過去に市販された作品を無料で配布するケース。 変わり種としては、アメリカ陸軍が入隊プロモーションとして製作した『America's Army』、 国連世界食糧計画(WFP)が飢餓と食料援助活動を解説するために製作した『Food Force』なども無料でプレイできる。 こうしたケースを「フリーゲーム」の範疇に含めるかと言えば、恐らく各々で大きく解釈は異なるだろう。 しかし、料金的にはfreeであったとしても、「企業」や「政治団体」が、「利益」を目的に ―――直接的な金銭だけではなく、広告収入や、広報活動も含めて―――ゲームを公開しているのであれば、 それは営利活動であり、大袈裟な言い方をすれば”思想的にfreedomだと言い難い”。 料金形態ではなく、個人による「自主制作性」こそが「フリーゲーム」の大きな特色であり、 魅力のひとつではないだろうか、というのが筆者個人の見解である。 ●1.3.無料の理由を考える フリーゲームがなぜ無料なのか、その理由を考えたことはあるだろうか? 自作ゲームを有償公開とすることで得られる最大のメリットはやはり「金銭」であろう。 「金銭」はそれこそ何にでも使うことができるし、 「金銭」のやり取りを通じることで「売り上げ」と言う名前の強力な評価を得ることもできる。 そして、作品を有償化しないということは、 作家は「金銭」のもたらすものを目的としていない、ということである。 しかし作家達とて、なにもボランティアでゲームを公開しているということではないはずだ。 では作家たちは、一体何を目的として、自身の製作したゲームをフリーウェアとして公開するのか? フリーゲーム作家の丼氏やOMEGA氏は、その目的を「コミュニケーション」であると言う。 >作者としては、 >フリーソフトのコミュニティっていう曖昧な世界があって、そこに投下してる感覚。 >だから作ったものを介してコミュニケーションできればいいな、みたいな。 >なので、作ったものに感想とかもらえると嬉しいし、 >作者同士で話せたりすると楽しいし、 >共同作業みたいなの出来ると、これが一番楽しいですね。 >そういったことがモチベーションに繋がってるかな(暇なのは絶対条件ですが) >だから別に広まらなくてもいいんです。 >自分の把握出来る範囲でやってくれる人がいればそれでいい。 > > ヤルハラの靴下は履いたままで フリーウェアに関連した与太話 > http://yaruhara.moe-nifty.com/yaruhara/2006/01/post_440c.html >俺自身の「フリーゲーム」に対する意識は、丼さんと同じだ。何らかのコミュニティがあって、 >そこに向けてゲームを撃ち出す。向こうがゲームに対するレスポンスなりを、 >2chなり掲示板なりブログなりで返してくれて、それを受け取ってニヤニヤして楽しむ。 >金の問題ではなく、意識の問題。対価はコミュニケーション。 >強要する気はないが、何かレスポンスが欲しい。 > >だから、「無料」という言葉に違和感を覚える。 > > コミュニティとイベントと妄想と… - おめが?日記 > http://d.hatena.ne.jp/o_mega/20060108/1136722001 フリーゲームを正しく捉えるためには、作家には作家の意図や目的があり、 その上でゲームソフトをフリーウェアとして公開している事を踏まえておかなければならない。 >俺達はボランティアじゃねーぞ。 > > Bio_100%代表 Alty ●1.4.フリーウェア・ゲーム・スピリット しかしそうした「作家の意図」という点はあまり取り上げられることがなく、 むしろ軽視される向きすら感じられる。 >これは、どっちが正しくて、どっちが間違えているとかの優越感を求めるためではなくて、 >純粋にフリーは何を想い、作られているのかという根本を見ていないんだな、 >っていう僕にとっての一種のつっかかりになるわけだ。 > > フリーゲーム論─何故面白く感じるか─ Libertas > http://libertatem.org/2008/02/freegame3.html 筆者としても、このような”根本が見られていない”現状に不満を感じており、 そしてその不満が「自由遊戯黙示録」の執筆に至る原動力のひとつであった。 では、彼らゲーム作家を突き動かし支えている根本とは、一体何なのだろうか? >これにより何を言いたいのかというと、ゲームする人はすべて等しく、先にゲームに触れた上で、 >自己表現としてゲームを思い立っているということ。 >だから上が正しければ、ゲームで遊んでいなければゲームをつくろうなんてまず考えない。 >これにより、フリーゲームを作る人は皆、市販ゲームを知っているわけだ。 > > フリーゲーム論─何故面白く感じるか─ Libertas > http://libertatem.org/2008/02/freegame3.html フリーゲーム作家達にとってゲームとは自己表現なのである。 実際、フリーゲーム作家達はゲーム作家である以前に、様々なゲームに精通した 一流のビデオゲーム・プレイヤーであることが多い。 彼らは「ゲームを作るということ」「ゲームを遊ぶということ」それぞれに自覚的で、 ゲームそのものと真摯に向き合い続けている。 その真摯さを表す言葉として、 自身も『Eternal Daughter』などの製作に携わり、 インディーズ・ゲーム情報サイト「TIGSource」の編集長として活動している Derek Yu氏の、この言葉を引用しよう。 >The mainstream game industry only ever travels in one direction: >straight ahead, to the next big thing. Which is fine. >But by doing that, it leaves behind so many interesting ideas and interesting people. >(主流のゲーム産業は一方向に旅行するだけです、 > 次の大きな出来事に、真っ直ぐに。それは良いものです。 > ですがそれは、とても多くの面白いアイデアと面白い人々を置き去りにしてしまいます。) > > Features: The Game Community According to Derek Yu - 04092008 - gametap.com > http://www.gametap.com/articles/gamefeatures/the_game_community_according_to_derek_yu-04092008 フリーゲームをフリーゲームとして突き動かすもの、 それは置き去りにされてきた「アイデア」に他ならない。 実際にフリーゲームをプレイして回れば、市販のゲームには見られないアイデアが 数多く存在していることに気付くはずだ。 なれば、ゲームに盛り込まれた「アイデア」にこそに着目し、率直な評価をすることが フリーゲームをプレイする上で何よりも求められるものであろう。 >そうですね。つまらないんだったら、つまらないっていう感想自体がすごく欲しいですね。 > > 書籍『Bio_100% フリーゲームコレクション』座談会内でのAlty氏の発言 -------- ■■2.プレイヤーからの視点 ●2.1.フリーゲーム・コミュニティの分断 フリーゲームのプレイヤー側のコミュニティがどうなっているか、という点では この文がまさに的確と言わざるを得ないだろう。 >フリーゲーム界と一言で言っても、その内部ではいくつものコミュニティが >互いにあまり交わることなく乱立しています。 >ハンゲームなどの低年齢層向けコミュニティ、 >FlashやShockwave等のオンラインゲームのコミュニティ、 >2chのPCゲーム板を中心としたコミュニティ、 >コンテストパークに集うRPGツクールのコミュニティ、 >より歴史の長い同人界から派生したコミュニティ、 >等々を互いに比較してみると、それぞれのコミュニティの間には(重なる点もあるにせよ) >とても一括りに出来ないほどの差があります。 >「タダでゲームを遊べる」という点においては確かに共通しているので、 >そういう意味ではいずれも「フリーゲーム」なのですが、実際には流通する作品の性質や対象層など、 >多くの点で違いがあります。 > > フリーゲームの盛り上がりとは - sam113のブログ的生活(実践編) > http://d.hatena.ne.jp/samona/20050313 例えば、耽美な男性との恋愛が描かれている、いわゆる”女性向け”のノベルゲームを 男性が好き好んでプレイすることはごく稀であろう。 あるいは、”シューター”と呼ばれるマニアックな愛好家のいる2Dシューティングゲームでは、 「フリーゲーム」より「2Dシューティングゲーム」の枠で探したほうが情報が豊富な場合すらある。 加えて、ひとりの作家ごとにコミュニティが分かれるといったことも起こりうる。 「アンディー・メンテ」のようなアクの強い作品を打ち出す作家は、 ファンと、そうでない人の間でどうしても温度差ができてしまう。 こうした中では、ある1本のゲームの話が1つの狭いコミュニティの中で完結してしまい、 より外へ外へと広がりを見せることが無い。 プレイヤーの世代、好みのジャンル、ゲームに対する入れ込み方、などが分散しすぎていて、 「フリーゲーム」という大きな囲みでの結束力が生まれにくい状態になっている。 また、ゲーム作家のD.K氏やOMEGA氏は インターネットにおけるコミュニケーションの”薄さ”を指摘している。 >インターネットは何もかもを情報として飲み込んだ。フリーゲームもコミュニケーションも。 >インターネットはすべての情報の仲介者となってしまった。 >D.Kさんが指摘するように、作者とプレーヤーの間にインターネットが挟まってしまった。 >インターネットはすべての人々を平等に繋いだが、コミュニケーションの深さをなくしてしまった。 >膨大すぎる繋がりは数に反比例して薄くなった。 >すべてをインターネットが間接的に繋ぐ世界。誰もが薄く広く繋がる世界。 > > コミュニティとイベントと妄想と… - おめが?日記 > http://d.hatena.ne.jp/o_mega/20060108/1136722001 「フリーゲーム」の幅が広過ぎ、結びつきが弱い。個々の掘り下げも行われない。 フリーゲーム・コミュニティは”霧散”とでも形容するのが最もふさわしい状態にある。 ●2.2.「フリーソフトで面白いゲーム まとめ」 そうした”霧散”しているコミュニティを、ある1点で結びつける役割を果たしていたのが 掲示板コミュニティ「2ちゃんねる」の「アマチュアゲーム板」で立てられたスレッドのひとつ 「面白いフリーソフト レビュー&攻略質問スレ」と、その内容をまとめたWebサイトであった、と筆者は考えている。 ジャンルを問わず、個人作成のゲームやブラウザゲームだけでなく、時には市販ゲームの体験版まで紹介され、 膨大なタイトル数と、「2ちゃんねる」特有の誹謗中傷も入り混じる忌憚の無いコメントは フリーゲームを探す者にとって貴重な情報源となった。 その「フリーソフトで面白いゲーム まとめページ」は2006年6月に閉鎖。 一部のゲームに執着する掲示板荒らしによってスレッド本体が機能不全を起こしていたうえ、 当時、アフィリエイトによる広告収入を稼ごうとしている、として 同種の「まとめサイト」管理人の多くが攻撃の槍玉に挙げられており、 「フリーソフトで面白いゲーム まとめページ」もその例外ではなかった。 序章で述べている、フリーゲーム・レビューサイトの冷え込みもまた 「フリーソフトで面白いゲーム まとめページ」の閉鎖を境に発生していると考えられる。 レビューの元であるフリーゲームに関しての包括的な情報源が失われたためである。 フリーソフトで面白いゲーム まとめページ保存版 http://miyoshiza.s59.xrea.com/frgmorg/ 本日二信 - 魔王14歳の幸福な電波 http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20060604/1149369382 ITmedia News:2ちゃんネタは誰のもの? スレ紹介ブログの閉鎖相次ぐ http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0606/01/news066.html フリーソフトで面白いゲーム まとめサイト http://frgm.jp/ ●2.3.「超激辛ゲームレビュー」と「3分ゲームコンテスト」 個人製作のフリーゲームを紹介するWebサイトや、フリーゲームを取り扱うニュースサイトなどは、 特定のゲームジャンルに特化していることや、サイト管理人の独断によるゲーム紹介という形態にとどまっている事から、 プレイヤー同士の交流の場、プレイヤーとゲーム製作者の交流の場としては成り立っていないのが現状だといえる。 その中で”読者参加型”のレビューサイトという、一味違った形式を取っているのが、 「フリーソフト超激辛ゲームレビュー」である。 このレビューサイトは上橋江上によって2000年9月に開設され、現在は3代目管理人であるESによって運営されている。 ただし「超激辛」と冠されたサイト名に対して、辛辣であったり、深い考察が行われている事は少ない。 フリーソフト超激辛ゲームレビュー http://gekikarareview.com/ フリーソフト超激辛ゲームレビュー - wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%95%E3%83%88%E8%B6%85%E6%BF%80%E8%BE%9B%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC また、「フリーソフト超激辛ゲームレビュー」は、 2004年1月に創設されたフリーゲーム・コンペティション「3分ゲームコンテスト」の生い立ちにも関わっている。 ”プレイ時間が3分程度のゲーム”という 「フリーソフト超激辛ゲームレビュー」内で交わされたアイデアを元に、 「ツクール新聞」の運営者らが呼応する形で創設されたのが「3分ゲームコンテスト」である。 「3分ゲームコンテスト」からは、『Every Extend』や『愛と勇気とかしわもち』といった話題作が創出され、 前述の「フリーソフトで面白いゲーム まとめページ」が閉鎖されたこともあり、 フリーゲームに関する情報や交流を定期的に生むコミュニティとして注目度が増していた。 しかし、第18回の投稿者である星屑きららの投稿作品や言動が、掲示板やSNSをまたいでのトラブルとなり、 2008年2月に一時閉鎖となった。 3分ゲームコンテスト http://3punge.com/ 超絶神黙示録女神虚構破邪新生伝きらら おっと http://hosikuzukirara.blog7.fc2.com/blog-entry-1038.html ゲーム日誌 私感 http://diarynote.jp/d/64422/20080203.html フロンティア病院 2月4日の日記 http://diarynote.jp/d/29357/20080204.html せつねぇなぁ - 湯呑屋徒然日記 http://d.hatena.ne.jp/fifth_tea/20080206/1202304120 なおその後、ゲームコンテストの開催を求める声から「豆腐コン」が設立され、 現在では「Free Game Classic」として運営が続いている。 この他にも大小様々なコンテストが企画されてはいるが、 いずれも「3分ゲームコンテスト」当時の盛り上がりには達していない、というのが現状のようである。 Free Game Classic http://www.freegameclassic.com/ -------- ■■3.ゲーム開発者からの視点 ●3.1.”場”の欠如 多くのゲーム作家は自身のウェブサイト、あるいはVectorなどのダウンロードサイトで 作品を公開する形を取っている。 しかし、作家個人のウェブサイトのみで告知しても多くの人はゲームの公開を知らないままだし、 ダウンロードサイトにおいては膨大な作品数の中に作品が埋もれてしまいやすい。 2.2.項で述べた「まとめ」のような、ゲームを紹介する機関も今やろくに機能しておらず、 作ったゲームを宣伝し、広めていく場が無くなっていると言える。 また、ゲーム開発者が開発の腕を磨く場も不在である。 開発者同士の意見交換、共同でのゲーム開発に利用できるフォーラムなどがほとんど無い。 ゲーム開発の腕を競うコンテストやコンペティションなども頻繁に行われるものではなく、 先の2.3.項で述べた「3分ゲ」の閉鎖など、むしろ状況が悪化している現状がある。 さらに、そうしたコンテストの場においても、組織票などのさまざまな問題により ゲームに対して適切な評価や指摘がなされないままになっている。 2003-11-11 - 駄研, note http://d.hatena.ne.jp/k_u/20031111#p1 大変日々。 今回のコンパクから考察する、コンテストの意味 http://highfly.blog90.fc2.com/blog-entry-356.html 第四回フリーゲームクラシック感想LAST - 俺の寝床 http://blog.goo.ne.jp/noonesuk/e/32804ec527f5e56e96aa3ca16e0c5bed ●3.2.ネットワークを介したゲーム開発 Roguelikeゲームの文化 ネットワークを介してのゲーム開発に触れる上では、 UNIX OSで生まれた『Rogue』と、その系譜を持つ"Roguelike"ゲームが ひとつの事例となるだろう。 UNIXの利用者は、コンピュータ技術に精通した技術者や研究者、 またその卵である大学生を多く抱えており、 その大半は、ソフトウェアの開発に必要なプログラミングの技術・知識を持っている。 そうしたUNIXの文化圏においては、ソフトウェアは「ソースコード」という、 ソフトウェアの”素”の状態で配布されるのが主流である。 ソフトウェアを利用したい場合は、各利用者が「コンパイル」という作業を行い、 「ソースコード」をコンピュータが実行可能な形式に変換する。 プログラムの”素”である「ソースコード」が公開されている、ということは、 ゲーム内に潜んでいるバグ(不具合)の修正、多言語対応、 他の機種への移植といったことをプログラムの利用者自身で行えるほか、 ゲーム内容を自分好みに改変することも可能だということを示している。 そうした改修版のソースコードは「パッチ」(patch:"当て布"の意)として公開され、 ソフトウェア本体と同様に流通している。 中でも、ゲームを大幅に改編したものは「ヴァリアント」(valiant:"変種"、"亜種"の意)と呼ばれ、 ヴァリアントでの変更内容を”本家”が取り入れたり、別内容のゲームへと発展するといった事もある。 Roguelikeゲームにおいては、ネットワークを介した開発はもはやひとつの文化と捕らえてよいだろう。 以下に象徴的な事例として、 『Rogue』のコピーゲームである『Hack』と、その発展系である『NetHack』での事例を抜粋する。 >Jay Fenlason, (+Kenny Woodlang, Mike Thome and Jon Payne)がオリジナルHackを制作。 >Rogueベースと言われることもあるが、この時点ではオリジナルRogueのソースは公開されていないはずなのでスクラッチだろう。 >Copyrightによれば公開は1982年らしい。 > >もっとも、オリジナルHackはRogue並にシンプルなもので、大量のバグがあったらしい。 >これをAndries Brouwer氏が大幅に改良し(別物になった、とされている)、 >1984年にリリースしたものが現在入手できるHackであり、AB Hackとも呼ばれる。 >NetHackに引き継がれる多くの特徴やスタイルはここから実装されたようなので、 >実質NetHackの父と言えるのはこのAndries Brouwer氏とAB Hackだろう。 > >AB Hack公開後、PC HackやST Hack等幾つかのバリアントが出た後、 >1987年にMike Stephenson がこれらをまとめて作ったものがNetHack 1.4である。 >Netというネーミングは「ネットワークを介して協力して制作された」という意味である。 > > Hack - hackaholic - Roguelike Tips > http://www.hackaholic.net/pukiwiki/index.php?Hack ●3.3.「2ちゃんねる」の有志によるゲーム開発 「2ちゃんねる」の有志によってゲームを開発している、というニュースは度々耳にする。 「2ちゃんねる」には様々な才能を持つ人々が集うため、 集まった人々の力で何かをしよう、ということが良く起こる。 また、「2ちゃんねる」が持つブランドや知名度は良くも悪くも大きく、 インターネット界隈では話題として取り上げられやすい。 しかし、ネットワークを介するがゆえに開発作業は困難なものとなる。 直接顔を合わせての作業が難しく、メンバーの流動性が高く、その能力も上から下まである。 メンバー間の意志の疎通には強力なリーダーシップが必要とされるが、 大半のプロジェクトは製作するゲームの方向性を上手く決めることができずに空中分解してしまう。 それでも、『しぇいむ☆おん』や『GUNVALKEN』など、開発が軌道に乗った例も存在している。 ツンデレ喫茶ADV製作〜しぇいむ☆おん〜 http://vimalakirti.aki.gs/shame-on/ ガンヴァルケン http://www.geocities.jp/asvii/ 2005-03-24 - ABAの日誌 http://d.hatena.ne.jp/ABA/20050324 ●3.4.「ゲームヘル2000」 2006年に、ゲーム開発者による、ゲーム開発者のためのコミュニティとして 「ゲームヘル2000」が誕生した。 その設立には、”ゲーム製作者とプレイヤーの繋がりの薄さ”に対する、 ゲーム製作者側の問題意識が背景にある。 >ゲームヘルを作ったきっかけは、 >近年作者とプレイヤーの間の距離が離れてしまったと誰しもが感じていた事でした。 >生産しても金銭的利益がないので、創作意欲を維持するためには感想をもらえる事が >一番大きいわけなのですが、それが無くなりつつあると感じていました。 > > 『がんばれ!菜月さん!』作者 D.K氏コメント > http://frgrgnd.blog99.fc2.com/blog-entry-36.html#comment11 ゲームヘル2000のゲームにおいて特徴的なのが「やわらかライセンス」の提唱である。 この「やわらかライセンス」は、ゲーム内の画像・音声などの素材の流用や、 プログラムの改造を許可し、ゲーム製作者に柔軟な発想を呼びかけるライセンス形態となっている。 ゲームヘル2000 http://www5.atwiki.jp/yaruhara/  ●3.5.「家庭用ゲーム機向けフリーゲーム」の可能性と課題 2008年2月、それまで開発者間限定であったXBox360での自作ゲームの公開が、 「community games」によって一般ユーザーにまで広がるとの発表が行われた。 これにより「家庭用ゲーム機(XBox360)向けフリーゲーム」という、 今までに無かった道が開けることとなる。 家庭用ゲーム機でフリーゲームをリリースした場合、最大のメリットとなるのは 「(PCをゲーム用途に使う習慣の無い)より多くの人々に作品を触れてもらえる」という点だろう。 しかし数多の市販ゲームと同じ土俵に上がったとき、 はたしてフリーゲームにプレイヤーが付いてくれるのかどうかは未知数だとしか言い様は無い。 >XNAのcommunity gamesはXbox Live経由でアマチュアのゲームが配布できるすばらしい仕組みだが、 >ちょっと懸念もある。なんやかんや言っても、億単位の金をかけて作る商用ゲームと、 >手工業で作るアマチュアゲームの間には越えられない壁があるわけで、 >それらがXboxダッシュボードという同じ場に乗った時、 >はたして手工業側は遊んでもらえるか、楽しんでもらえるか、という懸念だ。 > > 商用ゲームと同じ配布経路に乗った場合に求められるアマチュアゲームの資質 - ABAの日記 > http://d.hatena.ne.jp/ABA/20080305/p1 -------- ■■4.インターネット以前の時代 ●4.1.マイコン文化 かつて、電波新聞社が1982年〜2003年に刊行していた「マイコンBASICマガジン」という雑誌がある。 「マイコンBASICマガジン」は パソコン雑誌、プログラミング投稿誌、ゲーム情報誌の3つの側面を持つ雑誌となっていた。 「マイコンBASICマガジン」は、基本的には、 プログラムを利用するにはプログラムを自分で打たなければいけなかった時代の産物ではあるが、 その紙面を作品の発表場として、多くの開発者たちが技術を磨いた。 またその一方で、様々なビデオゲームに関する情報や考察が掲載され、 ビデオゲーム全般に対する観察眼を養う機会となっていた。 >当時はあれを商業ベースの雑誌として流通可能だったから、 >その利益をゲームの査読に回すことができたわけだ。 >ベーマガは特に査読機関としては有能で、上で挙げたCHECKER FLAGでのダメ出しから、 >特集で投稿プログラムを勝手に直すってことまでやっていた。 >もうちょっとで掲載とかいうリストを巻末に載せることで投稿者のレベルアップを煽るとかいう小技も効いていた。 > >今もフリーソフトのゲームは雑誌で流通しているけど、CD-ROMに1000とかいう数で押し込められて、 >ラベリングだけされて垂れ流されている状態。あたりさわりのないレビューくらいは書いてくれる雑誌はあるけど、 >まさか「こう改良すべし」みたいな指摘をするわけにもいかず。 > > だれかゲームを査読してくれ - ABAの日誌 > http://d.hatena.ne.jp/ABA/20031111#p2 マイコンBASICマガジン - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%B3BASIC%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3#.E5.BE.8C.E5.8D.8A.E3.83.9A.E3.83.BC.E3.82.B8.EF.BC.88.E3.82.B2.E3.83.BC.E3.83.A0.E7.B3.BB.EF.BC.89 ●4.2.パソコン通信 Windows95とインターネットが普及する以前の通信ネットワーク(いわゆるパソコン通信)の時代においては、 パソコン通信のネットワーク空間に設けられたフォーラムにて、 ゲームを含めたフリーソフトウェアの開発・公開・支援などが行われていた。 Nifty-Serveの「FGAL」(フリーソフトギャラリー)フォーラム内にある アミューズメント部門である「FGALAM」や、 Bio_100%が開設したゲーム開発者向けフォーラム「FGALGL」などは、その最もたるところであろう。 >昔はNifty(パソコン通信)があって、FGAL(フリーソフトギャラリー)っていうフォーラムがありまして、 >つまりコミュニティとオンラインソフトが一体になっていた。 >ソフトごとにフォーラムがあって、支援ソフトなんか出て >わやわややってた感じがありましたね。 >そんな雰囲気を懐かしんでるだけなんですけど、 >昔の事だから美化してんのかな、 >でも今のフリーソフト界隈よりは確実に活発だったと思います > >インターネットになって、人増えたのはいいけど >やたら寂しい感じもしてしまいます。 > > ヤルハラの靴下は履いたままで フリーウェアに関連した与太話 > http://yaruhara.moe-nifty.com/yaruhara/2006/01/post_440c.html ●4.3.同人ゲーム ”アマチュアによる自主制作ゲーム”としては、 「フリーウェアゲーム(フリーゲーム)」以外にも「同人ゲーム」の存在がある。 フリーゲームとの大きな違いのひとつは配布方法で、 同人ゲームの配布方法としては、オンラインや専門店への委託販売などもあるが、 「コミックマーケット」をはじめとする同人即売会を中心とした、作者自身の手渡しが基本である。 「同人ゲーム」の始まりは1984年の帝国ソフト『人魚の涙』とされる。 多くの”同人”メディア同様に、既存のキャラクター等を借用した二次創作作品が多いが、 2000年代には『月姫』『ひぐらしのなく頃に』『東方project』といった オリジナルなヒット作の登場により大きな注目を集めている。 同人ゲーム - Wikipedia http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E4%BA%BA%E3%82%B2%E3%83%BC%E3%83%A0 4Gamer.net ― DiGRA Japanが見る,研究対象としての「同人ゲーム」〜 「QoH」「月姫」以降のヒット作とニコ動,海外作品を通じて,ゲームコミュニティの有り様を考える http://www.4gamer.net/games/042/G004287/20080928002/ 同人ゲームとフリーゲームでは、流通形態や文化的な背景こそ異なるが ”アマチュアによる自主制作ゲーム”という点で共通しているため、両者が混同されることがままある。 しかしフリーゲームの作家からは、同人とフリーを混同される事に違和感がある様子が伺える。 >竜騎士07氏の「売れるものを優先させるのが商業で、作りたいものを優先させるのが同人」という定義に従うなら、僕は確かに、同人側の人間だ。 >しかし、自分が「同人ゲーム」を作っているという自覚が、僕にはないのだ。 > >僕はこれまで、3つのゲームをネット上で無償配布し、 >そして今作っている4つ目も、同じ方法で配布するつもりでいる。 >それらは「フリーゲーム」と呼んだほうが、自分の中ではしっくり来る。 >言葉の問題といえばそれまでだけど、その裏には浅からぬ意識の壁があったりする。 > >その最大の理由は、きっと「コミケ」という場を共有していないためだと思う。 > > 「この中に、同人ゲームを作っている方はおられますか?」 - sam113のブログ的生活(実践編) > http://d.hatena.ne.jp/samona/20081101#p1 >同人ゲームと聞いて自分が想像する作品は、しっかりとビジネスライクな感覚を持っているものが多い。 >納期、チーム製作、パッケージの見せ方、ジャンルの流行、宣伝などがしっかりと意識されている。 >自分にとって「作りたいものを優先させる」という性質は、フリーゲームの方が遥かに強いと感じる。 >それほどフリーゲームでは好き勝手な作品が、ものすごい長期期間で製作されていて、 >文化圏の性格はとても内向きだ。 > > 同人ゲームとフリーゲーム - カタテマ日記 > http://d.hatena.ne.jp/wtetsu/20081102#1225594135 近年ではヒット作の存在に加え、ゲームのダウンロード販売など、 インターネット上でのソフトウェア流通・決済の手段が確立されており、 フリーゲームとして公開されていたものが有料販売に移行する(同人ゲーム化)、 逆に同人ゲームとして公開されていたものが無料配布される(フリーゲーム化)こともあるなど、 ”同人”と”フリー”の境目は非常に曖昧になっている。 そして、こうした曖昧な状態が続いているがゆえに、フリーゲームであることの意義、 フリーゲームをフリーゲームたらしめる”フリーゲームの精神性”とは何なのかが 改めて問われている、ともいえるだろう。 フリーゲームは同人ゲームか? - 魔王14歳の幸福な電波 http://d.hatena.ne.jp/Erlkonig/20090202/1233572697 フリー同人商業の違い - あることないこと書きなぐり http://d.hatena.ne.jp/DK_alpha/20090303# -------- ■■5.海外からの視点 ●5.1.『洞窟物語』という名の転機 筆者の個人的な印象ではあるが、2000年代前半までにかけての海外のフリーゲームは いわゆる「リメイク」や「クローン」が多く見受けられる。 また、ABA Gamesなどのシューティング作家が注目を浴びることもあったようだが、 海外のコミュニティの様子は日本国内にはあまり知れ渡ってはいなかった。 大きく状況が変わったのは2004年末に『洞窟物語』が登場し、 それが海外ゲーム情報サイトInsert Creditに取り上げられたこと。 そしてそこから、フォーラムの有志の手によって『洞窟物語』が英語に翻訳されたことだ。 この出来事によって、海外のフリーゲームのコミュニティが日本国内にも知られるようになり、 ABA Gamesや『洞窟物語』に影響を受けたとおぼしきクリエイターによる オリジナルのゲームがリリースされている。 Insert Credit 2005/01/10 - News: Doujin updates http://www.insertcredit.com/archives/000117.html Insert Credit 2005/01/31 - News: Doukutsu Monogatari translated http://www.insertcredit.com/archives/000146.html 勿論、その背景となっているのは全世界から共通的にアクセスが可能なインターネットの普及である。 日本の作家からも、英語版ウェブサイトの作成や英文マニュアルの添付など 海外からの注目を意識するようになってきている。 ヤルハラの靴下は履いたままで: 多言語対応 http://yaruhara.moe-nifty.com/yaruhara/2008/01/post_0ae8.html ●5.2.「Independent Gaming」から「IndieGames.com : the weblog」へ 2005年8月頃に、インディーズゲームを包括したニュースblog「Independent Gaming」が創立された。 「Independent Gaming」は、フリーゲーム、シェアウェアゲーム、デモ、ブラウザゲーム、 日本の同人ゲームに至るまで、広域的な自主制作ゲームの紹介のほか、 ゲーム製作者へのインタビューも行っている。 2007年12月には、世界規模のゲーム開発者会議「Game Developers Conference」と GDC内で開催されるインディーズゲームの祭典「Independent Games Festival」を プロデュースする団体「CMP Game Group」のサポートによって、 「Independent Gaming」は「IndieGames.com - the Weblog」として生まれ変わり、 海外におけるインディーズゲームの一大情報発信地となっている。 このような支援団体の活動による積極的かつ専門的な情報の収集・統括・配信は、 個人レベルの活動に留まりがちな日本国内の状況と一線を画すものとして、注目すべき点である。 Independent Gaming http://indygamer.blogspot.com/ IndieGames.com - The Weblog http://www.indiegames.com/blog/ ●5.3.Independent Game Development 海外では、開発者向けのフォーラムや、ゲームを競作するコンペティションが インターネットの内外を問わず豊富に見受けられる。 中でも最大規模を誇るのが、「Game Developers Conference」(GDC)内で開催されている 「Independent Games Festival」になるだろう。 また、実験的なゲームを公表する場として「Experimental Gameplay Workshop」などが存在している。 Independent Games Festival http://www.igf.com/ The Experimental Gameplay Workshop http://www.experimental-gameplay.org/ 更に近年、大手ゲームメーカーによるゲーム開発がアイデア不足や開発費高騰で行き詰まりを見せていること、 Valve「STEAM」をはじめとするダウンロード販売網の拡大などの影響により、 ”独立系(Independent)”の開発会社によるゲーム開発が隆盛の兆しを見せている。 コンペティションで賞を獲得した個人製作のゲームが、 タイトル拡充を狙うパブリッシャー企業に買い取られて販売されたり、 開発者自身の起業によって商品化されるという事も、もはや珍しいものではなくなりつつある。 STEAM http://store.steampowered.com/ Direct2Drive http://www.direct2drive.com/ ●5.4.ゲーム改造文化「MOD」 「MOD」とは"Modification"(変更・改良の意)の略で、 主に有志がゲーム中のデータを改造し製作した、パソコン用ゲームの拡張パックといえるものである。 ゲームの改造の度合いは様々で、単純な画像・音声等のデータの差し替えから、 ゲームのルールまでも改変されて別物のゲームになるMODまである。 MODは『DOOM』以降確立された"First-Person view Shooter"(FPS)のジャンルにおいて特に盛んである。 中でも『Half-Life』の対戦用MODとして生まれ、 本家以上の人気を得ることとなった『Counter Strike』の事例などはあまりにも有名であろう。 近年の海外ゲームでは、ゲーム側でMODの利用や製作がサポートされていることも多く、 それはフリーゲームについても例外ではない。 複雑なプログラミング技術を要することなくゲームを製作できる「MOD」文化の存在は、 1本のゲームの寿命を長めると共に、 ゲーム製作に対しての敷居を下げている効果があるといえる。 なお、日本国内ではというと、パソコンゲームよりも家庭用ゲーム機が普及しており、 そうした家庭用ゲームではゲームデータの書き換えが難しいため、MOD自体があまり認知されていない。 「ゲーム製作に対しての敷居を下げる」という点では、 『RPGツクール』等の『ツクール』シリーズや『デザエモン』といった ゲーム・コンストラクション・キットがその役割を担っている。 -------- ■■終.来たるべき言説の時のために 以上、インターネット上に散らばるフリーゲームについての言説を中心に フリーゲームを巡る様々な状況を述べてきた。 無論、本文章は筆者の持つ偏った視点から述べられているものに過ぎないが、 これらがフリーゲームについての考察を行う上での一助となれば幸いである。 できればどうか声を聞かせてほしい。 最後に、この一文の引用をもって、本文章の〆とさせて頂く。 >今後、コミニティ、即ち「ゲームを完成させるために技術 >者、使用者が集まる場所」の質が問われていくと思う。今 >はそれの途上。そして、ネットの海にある個人が作るアー >トは、僕を救ってくれるただ1つのそれになりうるのか? >環境が人間を作るが人間は環境も作る。 > > フリーゲームレビューサイト「BTD」管理人 Willtheblue > http://2.csx.jp/users/babyblue/btd/ --------- --------- 付属.自主制作ゲーム概略年表 ○1950〜1970年代  ・研究用コンピュータでの余興としてのゲーム開発   『Spacewar!』『Colossal Cave Adventure』など ○1970年代後期〜1980年代前期  ・8Bitパソコン時代   PC-8000,X1,MSX,Apple-II,Commodore64など  ・マイコン雑誌、ゲームコンテストへのゲーム投稿  ・初の同人ゲーム『人魚の涙』  ・『Rogue』系ゲーム   UNIX文化圏での共同ゲーム開発 ○1980年代後期〜1990年代前期  ・16Bitパソコン時代   PC-9801,X68000,DOS/Vなど  ・パソコン通信の発展   フリーウェア/シェアウェアでのゲーム配布   『Bio_100%』など   『TAKALITH』事件(クローンゲーム訴訟問題)  ・アスキー『ツクール』シリーズ誕生 ○1990年代後期  ・Windows95(32Bitパソコン)時代   ゲーム開発用ライブラリ『DirectX』  ・インターネット普及   各種情報、オンラインソフトウェアのワールドワイド化  ・CD-R普及   大容量データの直接配布が可能になる  ・「葉鍵系」(Leaf/Key)ノベルゲームブーム   同人二次創作『Kanoso』『既知街』ほか   『NScriptor』『吉里吉里』等のノベル・スクリプタ開発  ・『Queen of Heart』   商業ゲーム開発経験者による高クオリティ自主制作ゲーム ○2000年代前期  ・高速通信網の普及  ・同人一次創作からのムーブメント   『月姫』『東方project』『ひぐらしのなく頃に』  ・フリーウェアゲームの世界的な認知拡大   『ABA GAMES』『洞窟物語』  ・「カジュアル・ゲーム」の拡大   FLASHによるブラウザ・ゲーム ○2000年代後期  ・自主製作ゲームの商業展開   『Every Extend』『MELTY BLOOD』など  ・ダウンロードゲーム販売網の整備   『STEAM』など   海外独立系(Independent)ゲーム開発の隆盛 ○2010年以降〜 --------- --------- Author: Tacashi.M Last UpDate: 2009.04.14 「自由遊戯黙示録」 http://frgrgnd.blog99.fc2.com/ E-Mail: tacashi11@hotmail.com